11/09/2009

多機能行事

先日、法事に行き、つくづく家族行事って子供にとって大事だなと実感した。
法事、葬式、結婚式、お盆、正月
どれもがウザい。できることなら参加したくなかったし、ほとんどスルーして来た。
でも、これは必要なんだなと最近痛感している。
それらは正直ウザい。未だにウザく感じる。
でも、こういうものはウザくないと意味がないんだ。と最近気づいた。

それは、こういうことだ。
例えば、家庭環境ってのは、子供にとって居心地が悪いくらいが良い。
それは、なぜか?

実家の居心地が良いとニートになるから。

そりゃなるよ。
自分の部屋があって、プライバシーは守られていて、食事は出てくるし、洗濯もしてくれる。連絡は携帯とかメールで全て個人にダイレクトに来るし、ネットで暇つぶしはできる。こんな快適ライフをガキが味わってしまったら、バカバカしくて一人暮らしなんぞしなくなるのが当たり前だ。

そこで家族行事の登場。(笑)
実家に住んでいる以上、参加義務率は高くなる。
行事は「え”〜〜め〜〜ん〜ど〜く〜せ〜〜〜」くらいが良い。つまり「手の込んだ嫌がらせ」

もう最高にうっとうしい。と感じさせることが大事だから、省略とかしちゃダメだな。読経とか超長くやってもらう。で、正座な。自分は大人だから、適当なところで席を外したりできる。大人の特権を行使しまくり。「早く大人になりたい!」この気持ちを養うことができる。ここで“自立心”が養える。

親の世代なんかは、個室どころか、家族全員で一部屋とかだったわけで、そんなところに兄弟が5人もいたらエロ本どころではない。でも、どうしても見たい。我慢できないくらい見たい事情がある。そこには“創意工夫”の精神が芽生える。追い込まれた末の工夫は素晴らしいし、その成果にも感動できる。自分に誇りすら感じるはずだ。ここで“自尊心”が養える。

行事が全て「手の込んだ嫌がらせ」だったらどうだろう?
やるほうも、すごく面白い。
全く意味のわからないこととかさせたい。
よくわからない呪文を「大きい声で3回唱えて、2回回って、3回拍手して、2礼」とか勝手に設定したり。


それにしても昔の人はかしこいな。
くだらない行事には、実はいろんな機能が隠されているんだ。
家庭の行事、国の行事、組織の行事
行事と言うものは、まだまだ多機能なのだ。

一見、形骸化しているように見える行事の持つ内なる機能性を想像してみるのは結構面白いものだ。

例えば、どこかの村に伝わる「ふんどし祭り」ってのがあったとする。
なぜ真冬にふんどしなのか?とか、子供の頃は意味がわからないかも知れない。
でも、大人になったとき「ハッ!そうだったのか!深い!」とかできたら楽しい。


最近、運動会とかで、何もない直線の短距離走で転倒するオヤジの気持ちがわかってきた。
あれ、子供のころからずっと謎だったんだ。「このお父さん達って、なんで何もないところで転ぶんだろ?」って思ってた。
でも、あれは心と体が一致していないのが原因だ。こんな事情、子供には絶対にわからないはずだ。気持ちに足が追いついていないから転ぶ。今はわかる。年齢を重ねるって、いろんなことに我が身を持って気づけるから面白い。




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2 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

おお〜 ドッチィd3さんも大人になったのね〜

ボク自身も4〜5年前に気が付きましたよ
各種行事の本当の意味、価値に。

若い頃は何でこんなコトしなきゃならないんだろうって思ってたよね。
しか〜し、ウチの親父なんて「オレが死んでも親戚呼んで葬式なんかしなくても良い」って言うんだよ。そりゃあ無理ってモンだ。
それをしなかったとき、タダじゃ済まないのは残された子供たちだっていまだに分かってない。
次男坊で実家を早くから出て好き勝手に生きてきた人間丸出し。ウチの親父のガキさ加減にも参るよ。
本当にそうしたいなら、しっかりとした法的に通用する遺言でも書いてくれよ。
もう完全に親を超えたと言えるよ、自分は。

d3/office D3 さんのコメント...

>wataru-h さん
いやいや、ずいぶん前から大人です。w
儀式とか祭ってのは、太古の昔から続いていたりするものもあったりするわけですが、あんなに面倒臭くて、明確な意味もわからないものが、何百年も残ってきたのには何か理由とか有用な機能性があると思うんですよね。それなりに。しきたりってだけじゃ残らないと思うんです。流行語とかとは明らかに違う。そこには啓蒙だとか、教育だとか、関係性リセットの場だとか、再確認の場だったりとかの機能性が、くだらなく無意味な行為の裏側に隠されていると感じますね。

それで、「もしかしたら行為なんて何でもいいんじゃない?」と思ったんです。
別に坊さんがお経とかじゃなくてもいいんでしょう。(笑) 
でも、例えば「法事」といううことで言えば、仏教がリリースしている商品なわけで、意外に奥の深い商品と考えると、人心に訴えたりする商品であって、生活の中で必要なメリハリを与えたり示唆を与えたりするロングラン商品なんだろうなと。あまりにも昔の商品だから、商品ぽく思えないけど。(笑) 空海すげぇ。